那須にある奈良美智さんの美術館「N’s YARD」を手掛けた石田建太朗さん。
石田さんはどんな建築家で、どんな経験をされてきたのか?お話を伺いました。(聞き手:手塚清、サカキテツ朗)
サカキ:元々建築家になろうと思っていたのですか?
石田:中学生ぐらいのときに建築を創ってみたいと思うようになりました。父親が金融業界で働いていたこともあり、真逆のことをしたいと思ったんだと思います。今考えれば金融をやっておけばよかった(笑)。
手塚:ないものねだりですね。
石田:幼少の頃から転々としていて、小学校の頃はロサンゼルスで5年半ほど過ごしたり、合計すると22年ぐらい海外にいました。日本と海外とで半々で育ってきたので今でも日本にいると少し浮いている感じがします。
サカキ:ロンドンのAAスクールで建築を勉強されました。
石田:ロサンゼルスで育ったのでアメリカの建築の学校に行きたいという気持ちもありましたが、当時のアメリカの建築は形態が強い傾向があったので自分には合わないかなと思いました。最終的に選択したイギリスのAAスクールは170年以上続く独立建築学校なのですが、英国建築家協会(RIBA)に認められている大学、大学院コースです。
サカキ:どんな学校なのか気になります。
石田:AAは5年間のカリキュラムですが、最後の2年間は基本的に1年で1つのプロジェクトに取り組みます。途中何を発表するかと言ったら、都市の分析やコンセプトを発展させていくときのプロセスを発表していきます。思考のプロセスを絵にすることを続け、最終的に建築の提案に落とし込んでいきます。
サカキ:プロセスが大事なんですね。
石田:本質的に何をやっても「Why?」と言われる。ダイアグラムを描いても図面を描いても全て否定されているように感じて、みんなノイローゼ気味になっていく(笑)。どんなプロジェクトでもその本質を突き詰めようという姿勢が大切で、プロセスをしっかり咀嚼して説明しないといけないのですが、その点、アジア人はヨーロッパの生徒に比べて弱いと思いました。
サカキ:そんなに違いますか?
石田:例えば課題を発表するとき、アジア人はドローイングなどの成果物の量で勝負する人が多いのですが、イギリス人は自分で撮ったロンドンの街の風景の白黒写真1枚を貼って、その1枚で2時間ぐらい物語を語り、最後は大きな議論にまで発展させていく。物事の本質、なぜそれが面白いのかとか、ここからどんなことが発展できるのかを永遠と語る、そういう能力が訓練されていますね。
サカキ:皆さんのプレゼンに興味がわきます。
石田:例えば、都市の中にバス停を作るという課題があって、ある学生が人の流れなどのマッピングを絵にしていき、人が集まりやすい場所プロットしたドローイングを作っていました。そこから分析して車やバスの動線などを1年間研究した上で最後、ここにバス停を作るべきではないことを証明します、と最後のプレゼンで発表して課題をパスしました。パスするというのは建築作品の良し悪しではなく、彼がどのような思考プロセスを経てそこにいたったか、なおかつそれが表現されているかが評価対象で、しっかり考えて自分なりの結論を証明することが大事なのです。
サカキ:なるほど。どのように考えたかが重要なのですね。建築に入る前の段階でハードルがありますね。
石田:AAスクールは70年代にアルヴィン・ボヤスキーという有名な校長が教鞭を執っていたころ、レム・コールハースやザハ・ハディドら有名な先輩方を輩出していました。いい時代だったと思います。AAスクールを卒業すると映像の方に進んだり、建築に携わらない人も結構います。色々考える思考プロセスを自分の中である程度確立させると、活動の場は建築じゃなくてもどの分野でも活躍できるという人も多く出てきます。
サカキ:そうですね。教える先生はどんな方ですか?
石田:先生は常勤の教授ではなく皆さんパートタイムで、常に実践で建築を作っている現役の建築家です。
サカキ:途中で建築じゃないものをやろうと思ったことはありますか?
石田:写真は面白かったですね。写真を現像できる暗室がAAの地下にあって学生はいつでも利用できるので、街中とかで写真を撮って自分で焼くのがすごく面白かったです。
手塚:写真も学べるんですね。AAスクールのカリキュラムは何年ですか?
石田:5年間のプログラムです。
サカキ:グローバルに学生が集まってくる?
石田:そうですね、国立大学よりも学費が高いのでイギリス人が少なく世界中から生徒が集まってきていました。私がいたのは90年代後半でしたが、日本人もいました。
サカキ:イギリスと日本の建築への考え方の違いは?
石田:日本人は特に思考のプロセスを発表するような教育を受けていないので、まず何かを新しく作ることが前提となっていると思います。日本の都市の環境はスクラップアンドビルドで更新され、建物のスケールもどんどん大きくなっていく。開発により建て替えられる建物が、景観や都市にどのように影響しているかなど誰も議論しない、クエスチョンしないという環境です。イギリスでは、あれだけの古い街並みがある中で、新しいもの、価値があるものは何かというのをひたすら議論した後、それらにふさわしいデザインの議論に移っていきます。
サカキ:確かに日本は新しいビルがどんどんできます。
石田:ロンドンの人は古い街並みを保存することがいかに大切かを知っています。歴史的フラグメントが街中に残っていることによって、都市が新しくなることの意味を彼らはずっと考えているのです。なおかつ古い街並みが残っていることによって自分たちのルーツを認識しています。東京は残念ながら戦争で焼けてしまいましたが、江戸の街が残っていたとしたら東京はもうちょっと違った都市の形になっていた可能性があると思います。
サカキ:京都は残っていたのに壊されてしまいました。
石田:時代の政治的リーダーの決断にもよりますね。古いものに本当に価値があるとすれば、我々のルーツを示してくれるという点がいちばん大きいと思います。我々がどういう未来を描こうかと考えたときに、江戸時代まで培ってきた文化の歴史は今の日本の都市には何も残っていない。新しい建物の集合体から未来を考えるのは想像しにくいです。なので、考えるプロセスを絵にしていくというのは、当時の私にとっては苦痛でしたが、都市のアイデンティティを考えるうえで大切なことだと思います。
手塚:日本では教えられて、教えられたものでテストを受けます。プロセスは自分が熟してなければ話せない。
サカキ:共通一次でマークシートになったことから日本は変わった気がします。その前までは記述だったのに、そこから必ず答えがあるものという刷り込みみたいなものができた。その前までの日本人はもっと考えていたような気がします。
石田:加えて、イギリスでは子供の頃から自分の意見を相手と交え議論する教育がなされています。当時、44歳だったトニー・ブレア首相率いる労働党と民主党の論戦が盛り上がっていて、国会中継を見ながらイギリスはすごい国だと思いました。
手塚:アメリカはリズムの国、日本はアートの国、イギリスはランゲージの国とP&Gの会長が言っていました。
石田:まさにイギリスは言葉を重視します。ひとつのボキャブラリーの意味をとても慎重に使っていくし、建築のアカデミックの世界では新しいボキャブラリーを作ってしまうこともしばしばありました。そのため、他の分野の人がその言葉を聞いても意味が分かりません。これは私の語彙力が未熟だったせいもあるのですが、AAの面接に行って終わって出るときに受かったか落ちたかわかりませんでした(笑)。先生たちはイエスノーをはっきり言わないで、私の将来の話をしてくれました。今思えば、面接の先生方は私を暖かく迎え入れてくれていたのだなと思います。言葉の使い方が非常に深いと感じました。
サカキ:言葉一つをとってもより考えられているのですね。
※AAスクール イギリス・ロンドンにある私立建築学校、英国建築協会付属建築学校(Architectural Association School of Architecture、アーキテクチュアル・アソシエーション・スクール・オブ・アーキテクチュア)。1847年設立、イギリスで最も歴史のある建築学校で、数々の著名な建築家を輩出
石田建太朗
建築家 / イシダアーキテクツスタジオ株式会社代表
1973年生まれ。ロンドンのArchitectural Association School of Architecture(AAスクール)にて建築を学び、2004年から12年までスイスの建築設計事務所ヘルツォーク&ド・ムーロンに勤務。同社アソシエイトとしてペレス・アート・ミュージアム・マイアミ(マイアミ現代美術館)など国際的なプロジェクトのプロジェクト・マネジメント及びリード・デザイナーを務める。2012年に東京に拠点を移しイシダアーキテクツスタジオ株式会社を設立。東京工業大学特任准教授。
https://www.kias.co.jp
手塚清
株式会社MAIN代表取締役。
1984年、那須塩原市に株式会社庫や創業。35年にわたり「CHEESE GARDEN」を運営。
サカキテツ朗
2005年、コミュニケーションをデザインするサカキラボを設立。行動心理学に基づいたブランディングに数多く携わる。大正大学客員教授。